丁寧に生きる

週末は東京で「歩け歩けの会」でした。歩け歩けはまた後で。
帰りのバスで、ここのとこの(誤解から生じて)色々考えた事とか、それに触発されて思い出したアメリカ時代の事とか、まぁ有り体に言えばいままでの事を色々思い出して。


ぼくは色々なものに生かされているなぁと。*1

振り返って、色々な人に不実を繰り返しているけど、それでもそれでも、不安や絶望にかられた時に、そうじゃなくてもふとくじけそうなときや色んなときに、色んな人や色々なものに助けられて、いま僕は生きているなぁと。


そういった事に感謝を感じながら、そういった事に報いるってのはどういう事なのかなぁと思うと、なかなか難しくて。
結局、ぼくは自分の人生だってぼく一人ではままならなくて、ぼくにできる事はそういうなんだか大きな流れ、みたいなものに手を一添えするって事なんだろうなぁ、と。
かといって、座して流れを見るのでなく、不貞腐れるでも無く、「射撃しながら前進」しなくては、だなぁ、と。
そういう事を思って、丁寧に生きたいものだな、とそんな事を思ったりしてました。
余裕がなくなるとすぐ忘れちゃったりして、なかなか、難しいな…。<追記>
アメリカにいる頃は、結城浩(id:hyuki)さんのお言葉を見て、向こうの日本人教会何度か行って色々と助けていただきました。
アメリカから帰る時に、洗礼を受けてみてもよいかな(よく分からないけど)と思ったんだけど、結局そういう話をしなかったのは、人間の関係性とかそういうものから創発されるものに拠り所を求めているからで、なんとなくそこが合わなかったからかなぁとか思ってるけど、なんだかうまくここら辺は折り合いがついてなくて自分でもよく分かってないや。

*1:ものすごく素直にこう思ったのはアメリカ時代だっけなと思って、ログを見てみたけど、見つからなかったり。
絶対書いたと思うんだけど、どこか別の所だったか…。