質とか量とかの話。結局量だけ増やして待ってても何も創発されないんだよっ、絶望を知れ。

最近とある集団に属する人々と話す事が多くて、彼女らと話すと思うのは、なんでこんなに物事を知っているのだろう、ということ。この違いは何なんだろう。僕と、彼女らと何がいったい違うんだろう。

  • 単純に彼女らが博識。
    • 物事をカメラのような記憶力で記憶している。(偽っぽい)
    • 生きてる時間が100倍くらい違う。(偽)
  • 単純に僕が物事を知らない
    • アンテナが小さい
    • 記憶力が悪い

てのじゃあ無い気がする。記憶力、というか時々言ってる現実に対する誠意の差では埋められない気がするんだが。なんでだろうか。

何となく、だけど、アンテナの向きが違うんじゃないかな。指向性なのか、無指向性なのか、の違いかな、と思ったけどそうじゃなくて。
なんというか、社交性の違いに起因する事、じゃないかな?コミュニケーションスキルと絡むような気がするんだけど、ヒトと話す事によって、話のネタになる知識ってのがどういうものか、どの方向にアンテナを向けたら良いかを知る。自分のアンテナの向きが違っていたらアンテナの向きを調整する。ってことを繰り返す事で、会話に役立つ知識をたくさん仕入れる事ができる。その結果、生かす事のできる知識が多い=ノイズとなる知識が少ない、一方、そう言うのが少ない、僕の知識はノイズばっかりになってしまう。なんか、そう言う事じゃないのかなぁ、と思った。知識の量じゃなくて、「コミュニケーションに際しての知識の質」の違いとでも言うべきか。
苦労する訳だ。結局、ヒトと話さなくちゃだめなんじゃない?ってことじゃん。