楽しくありたいし、ヒト様が楽しくあろうとするのは助けたいと思う、とかそういう

出来るだけ色々なチャンスを逃さないようにありたいなぁ、と思う。なんのために、だろうか。できるだけ、毎日「楽しく」あるために、かな。
「楽しい」ってのは「悦しい(心地よい、かな?)」では無くて…なんだろう。なんというか、この「楽しく」あるってのは「つらい」とか、「大変」とか「死にそう」とかそう言うのと対立しなくて。対立する言葉をあげるとしたら…「絶望」か?「死に至る病」としての「絶望」。
この「楽しい」は「好き」に近いのかな、「好き」の反対語は「嫌い」じゃなくて「無関心」ていう「好き」。
生きることに執着したくなるように、ありたい。というとちょっと重いか。でも、こういうのが一番近いような気がする。


じゃあ、どうしたらいいんだろね?
そのための方法の一つとして、機会を殺さないようにしたいな、と。


ひとにメールを書いてます。返信じゃなくて、こっちから発信するメールを書くのってだいぶ久しぶりかもしれない。どう書いたらいいのかスゴイ悩む。同時に、メールを下さる方ってのはこういうバリアを乗り越えてメールを下さるのであるな、と、感謝の極みだなぁ、なんて思ったりもする。
悩んだあげくに、わけの分からないことを書いてしまって、これって読んでどう思うんだろなぁ、返信困るだろなぁ、まぁ特に返信いらないけどなぁ、などなど。こう、何というか、健やかにすごしてますか、行き詰まったり生き詰まったりした時に、少なくとも僕はここにおりますのでとかそう言う、存在表明的な何か、ネガティブでもニュートラルでもなくてポジティブな立場で僕はここにおりますので、とかそんな感じのことを伝えたいんだけど、まぁそんなこと言っても訳分からないし、どうもしようもないし、突然そんなこと言われても、なぁ。それに僕自身、一体なんかの役に立つんだろうか…、ううむ、とかそんな。