Ron Butler氏が遺書をパワーポイントファイルに残して自殺した、と言うニュースを読んで。

パワーポイントで遺書: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
http://www.theonion.com/news/index.php?issue=4106&n=3

Ron Butler氏による48枚の遺書プレゼン。Ron Butler氏が何者か知らないし、さらにネタ元はネタサイトらしいけど。でも、自分の生き方に沿った方法で死にあたっての諸々を説明するっていうのは、残るヒトに対してせめて果たして欲しいものだと思う。そういう意味で、遺書を残した、と言う事は歓迎する事だし、その手段が慣れ親しんだパワーポイントだった、と言うのは、とても面白い、と思う。作家が自殺するなら、それをネタにして本を書け、と言う。
自殺って。絶望が人を殺すのか。虚無が人を殺すのか。責任感が人を殺すのか。ヒトが人を殺すのか。自分が人を殺すのか。

どうして死ぬのですか。

僕自身は自殺経験も未遂経験もない。自殺経験は今僕がここにいる以上なくて当然だし、それと、自分の経験がない分、自分の経験をよりどころとして語る事ができないと言うのは、利点かな、とも思う。
周りには自殺未遂を図った者が一名と、自殺を図った者が一名、いる。どちらにも、自殺のモチベーションは聞いてないし、未遂のヒトにも後から聞いたりもしていない。
二人の個体としての自殺と、一般論・総体としての自殺、を想像する事だけはできる。でも、それに何の意味が?
ただ、人がどうして殺すのか、それはずっと僕の中にある疑問の一つではあるし、ありつづけるだろうと思う。

自殺するのであれば、そのモチベーションを表にだしたらいいと思う。出せたら苦労しないかもしれないけど。
他人に話しても良いのでは。他人に話すと、そこまで思っているのなら、と後押しされるか、いや、それでも死んではならない、と止められるか、無関心を示されるか、何とも分からないけど。
僕が話されたとしたら、それが最善か最悪か考えずに、きっと脊髄反射的に、生きていて欲しいと反応すると思う。生きてさえいれば、何とかなる、と。僕のそういう所が不誠実で優しくない所かな、とは思う。
自分で文書なりの形でしたためても良いのでは。それに対して自分の理想的な答えを自身に与えるかもしれない、と思うと、他人に言うよりも、その方が良いのかもしれない。
表に出すことによって意外と自分の問題って大きくないな、と思うかもしれないし。逆に、あぁ、これはダメだ、とより確固たる思いに駆られるかもしれないけど。

ここでもう一歩、僕の表層の下を晒すと、自殺するのであれば、そのモチベーションを表に出したら良いと思う、ではなく、そのモチベーションを僕が知りたいから、興味があるから、教えて欲しいと思う、というのが言葉の裏にある思いかな、と思わないでもない。

自分語り。

僕が、自分の鬱鬱とした想いをここに記すのは、書く事で第三者化しようとしている、と思っていたけど、いつも原因でなく結果(心情)しか書いていない、と思うとあまり効果的ではないと、言うか、そのモチベーションでは、モチベーションかあるいは結果としての行為が間違っているな、などと思う。

……まとまらなかった。落ちもない。